しばらく日記を書いていない間に、桜が咲いた。来週末あたり、満開になりそう。
この三日間ほど、毎日5〜6時間練習してギター三昧。いままでずっと深堀りできていなかったところ、たとえば転調する中でどうアドリブするか?を追求したり、3年位アップデートせず使っていた機材のシステムをバージョンアップして新しい機能を試したり。
自分の演奏家としてのポテンシャルも限界も、よくわかっているつもり。たまに「上手い」と言ってもらうことがあるけれど、先輩の名プレイヤーの演奏をたくさん聞いて育ち、時々セッションもさせてもらって凄みを知っている身としては、自分が上手いなんておこがましくて。これは謙遜ではなくて、心の底から湧き出る実感。
練習は嫌いじゃないけど、いつも自己流だから能率が悪かったし、どこか間違っていたんだと思う。たまにプレイに熱中したくなる時期が来ても、練習をしすぎると関節や筋肉を痛めてしまったりした。そうすると「自分は専業ギタリストじゃなくてSSWだから、マルチプレイヤーだから」という言い訳を胸に、結局突き詰めることをせず、なんとなくできる範囲でやり過ごしてきた。
コロナのおかげで研究する余暇ができて、体を傷めない正しいフォームや練習・集中の仕方がわかってきた。最近は歌もギターもまだまだ伸びしろがある実感がある。(とはいえわかってても無意識にできるようになるまでには時間がかかる)
昨日はドラマーの村上PONTA秀一さんの訃報を知った。タイムラインは音楽関係者からの追悼や記念写真・動画で埋め尽くされて、ポンタさんの圧倒的な仕事量、交友の広さと人望の厚さが溢れ出していた。
一緒に演奏させてもらったことは数えるほどしかないけれど、90年代にポンタさんがバンドメンバーとして参加していた頃に沢田研二さんに提供した「幻の恋」という曲を、とても褒めてもらったのを覚えている。
15年くらい前に一度体を悪くされたとも聞いていたが、その後復活を遂げたポンタさんは、全国のライブハウスにドラムセットをいくつも置きっぱなしにして、どこに行っても身一つですぐ演奏できるようにしていたらしい。晩年はいつも葉巻を加えていた。 豪傑な、懐の深い、繊細な人だった。
偉大な先人たちが、この世界から旅立っていく。悲しい。でも、時の流れは止まらない。いずれ僕らの世代が最年長と呼ばれる日もやって来る。もう言い訳してる暇はない。元気なうちに、やりたいことをやっておかなきゃ。練習に熱が入ったのは、そんな気持ちになったからでもある。
最後に、ポンタさんと僕のギターの師匠、故・大村憲司さんの若き日の演奏を。ポンタさん、21歳。憲司さん、23歳。今頃、天国では大セッション大会が始まってるはず。 僕らはもう少し、ここでがんばります。
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