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2021.1.11(月)成人の日に




NHKで収録があったので渋谷へ。本来なら成人式が開かれているはずの渋谷公会堂は、閑散としていた。開催するか否か賛否両論飛び交うなか、結局東京ではほとんどの区がオンラインで成人式を開催したらしい。


コロ中(「コロナ禍」と変換しようとするといつもこの候補が出てくるけど、可愛いからもうこのままで行く)に阻まれ、古くから続く慣習は逐一その意義を問われる。この期に及んでまだ実感が薄いが、今、産業革命や明治維新くらいの価値観の大転換が世界を襲っていると言っても過言ではないんだろう。


今年の新成人は、平成12年(2000年)4月2日~平成13年(2001年)4月1日生まれだそう。生まれてまもなく9.11同時多発テロが発生して、10歳頃には東日本大震災を経験、そして今コロ中に成人式を迎える20年間 … なんと激しい時代に育ってきた世代なんだろう。あたかも2021年に成人することが、大人になるための通過儀礼そのものであるかのように。




1985年1月、一浪後に大阪芸大に滑り込んだ僕は、学生寮で成人式の日を迎えることになった。手元には浜松から招待状が転送されてきている。転勤族の父に帯同する転校生の時代、浜松には中2から高3までの5年間住んでいた。多感な十代を過ごした青春時代の思い出の街ではある。だが、僕が進学した年既に実家は茨城の笠間市に移っていた。


さてこの場合、どこの成人式に出席すべきなのか?

招待状をもらった浜松には家がない。高校時代は音楽にのめり込んで進学校のカリキュラムから完全にドロップアウトしてしまったので、仲のいい友達はバンド仲間しかいなかった。

大学の同級生はみんな地元へ戻っていて、大阪の成人式に出ても意味がない(案内状も届いていなかったと思う)。

笠間には一人も知り合いなどいない。そもそも「実家(という名の知らない家)」にたどり着くまでの電車の乗り継ぎすら危うい。

気づけば、礼服も持っていない。


結局、招待状の茶封筒は捨てて、僕は一人寮の部屋で成人式の日をやり過ごした。なんてことないさと高をくくったが、虚無感はなかなかのものだった。


今思えばあの日、自分は「一般」から隔絶して、個として生きていく覚悟を決めたんだと思う。あれは一人ぼっちの成人式だった。ソロアーティストとして音楽で生きていくことができたのは、あの「ソロ成人式」をやり遂げたおかげなのかもしれない。





新成人の皆さん、おめでとうございます。

普通じゃない成人式に戸惑っているのは一人ぼっちじゃない。これも同じ世代共通の思い出。みんな健康でいられれば、これからもきっと大丈夫。



*pics hy SIGMA fp + 65mm F2.0

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