2021.9.30.「play ▶ (再生)」

サウンド&レコーディングマガジン(以下サンレコ)・40周年記念号の巻頭特集のために、カセットMTRだけを使ってこの夏新曲を録った。


太古(誇張ではなくて、録音史の40年前は大昔)の機材での作業は制約だらけだったけど、大学時代の感覚が蘇ってきて楽しかった。作業の詳細は特集紙面を。



カセットMTRは、カセットテープのA面2トラックとB面2トラックを同時に使うことで4つのパートを録音できる、1970〜80年代の機材。この夏、机の真ん中に陣取ったこの化石のようなマシンと格闘しながら、画面ではなくメーターを観て、マウスではなくつまみとボタンに触って曲を録っていた。




YOASOBIのAyaseさんはじめ、現代のミュージシャンはラップトップ1台で音楽をつくったりもするけれど、カセットMTRはその遠い祖先ともいうべき存在。昭和のアマチュアにとっては「一人で絵を描くように音を重ねて曲を作る」ことができるたった一つの画期的なツールだった。今ならスマホの無料音楽制作アプリでもメモリの許す限り音を重ねることができる。40年の変化って凄い。


僕が宅録らしき作業を始めたのもたしか40年前、高校2年・1981年のこと。ラジカセとウォークマンを使って、自作のシンセドラムを3〜4回重ねただけの曲とも言えない音の実験が初めての作品。学校ではバンドをやりつつ、ずっと電気工作も好きだったので、その延長上の遊びだった。これがその曲。



その後大学に入ってカセットMTRを手に入れたことで、試行錯誤で耳だけを頼りに録音とアレンジの基本を学び、アパートで一人作ったデモテープからプロになるきっかけを掴んだというわけ。僕が使っていたのは、サンレコの表紙にもなっている「PORTA ONE」という小さめの機種。




録音三昧の大学時代にカセットで録音した曲をまとめたアルバムを公開しているのでぜひ。46分テープ20本近い録音の中から、選りすぐりの40曲。




デビューした1988年頃(昭和最後の年)はまだ「宅録」という言葉もなく、一人で音を重ねて曲を作るスタイルも稀だったので、当初はかなり珍しがられた、というかなかなか理解されなかった。たぶん、ベックが8トラックの古いレコーダーでデビューした90年代初頭からそのスタイルが徐々に認知されて、中村一義くんのデビュー後くらいから、「宅録」という言葉が日本に定着したんじゃないかと思う。


宅録派の最大の弱点はライブ。納得行くまで何度も録り直しして作った作品を、一発勝負の舞台で再現するためにはまったく別の技術が要る。デビュー後の数年は、音源にどうやってライブで折り合いをつけられるか、自分との戦いだった。ライブハウスからメジャーに這い上がってきたバンドは、ライブの高揚感を音源に閉じ込めるために試行錯誤するけれど、僕の場合はまったく逆だった。バンド演奏に交えて何曲か弾き語りもやっていた。一人でライブを完結できるように。


デビューして7年が経った1995年1月、阪神大震災が起こった。「ライフライン」という初めての言葉を聞き、もし電気が途絶えてしまったら...と想像した。そして、自分は停電してもライブができるミュージシャンになろうと強く決意した。それ以来今もずっと、弾き語りはライフワークになっている。


*そんな1995年に司会をした番組で、宅録を実演したことがあったな





そんな宅録派のライブにまつわる逡巡も、今や20世紀的なエピソードでしかなくて、たとえばジェイコブ・コリアーに代表される現代の宅録系ミュージシャンは、同時に動画に撮られることにも慣れている。撮り直しの効かない動画の緊張感が、ライブの替わりになっているのだろう。だから、ライブ経験の少ない新人アーティストが、デビューしてすぐに堂々としたパフォーマンスをステージで披露したりすることもある。アメリカの「Tiny Desk Consert」や日本の「First Take」などの動画チャンネルが人気なのも、録音芸術の原点回帰的現象で面白い。






この40年間、録音にまつわる技術はめざましくめまぐるしく進化して、アナログからデジタルへ、音楽メディアはレコードからCDそして配信へ、録音装置はテープからハードディスクそしてパソコンへ.... 小さく便利に、そして形の見えないものに変わっていった。その恩恵は計り知れない。サンレコも何度となく買ったし、いつも隅から隅まで熟読して、tipsを試し、新製品をチェックしてきた。


新しい機材に触れるたび「夢のようだな」と思う。あの頃からずっと、今も飽きずに、懲りずに、そう思い続けている。機材や自宅スタジオに対する欲はキリがない。だから、DIYとアイデアで足りないものを補う。高校の頃、ノイズの向こう側にイメージを描いていたあの感覚は、今でも自分の感覚の中心に、消えないまま残っている。


一方、失われたものがあるとしたら何だろう? 録音の場合は、もう何年も前から、リズムやピッチのずれはグリッド(目盛り)に合わせてグラフ状のビジュアルで修正できてしまう。そして作り手は、聴覚ではなく、視覚(ディスプレイ)に頼りすぎてしまう。ちょっとしたズレが気になってしまい修正を重ねた結果、平板な仕上がりになってしまうこともよくある。修正しすぎで肌がつるつるな写真、ありますよね?あれと同じ。




写真が修正されていたり、映画がCGと合成されていることは広く認知されているけれど、音痴やプレイヤーのリズムのばらつきを修正した音楽が大量に世に広まっていることは、いまだあまり意識されていない気がする。ライブも当て振りや口パクだったりすると、アーティストの実力は誰にも分からないままだ。アイドル(=偶像)なら、それもありなのかもしれない。みんなが楽しんでいれば、それでいいとは思う。


今回カセットで録った新曲には、もちろんそんな細工が一切できない。だから歌を録る前に2回ライブで歌って、完全に弾き語りで歌える状態に仕上げてから録った。いつものように細かく録るのはやめた。あまり何度も録り直ししていると、テープが伸びたりするのだ。正直、気になるところがたくさんあって、もう一度録り直したいくらい。でもそんな凸凹も、パソコンで録っているときには絶対に出せない味でもある。録音の本質ってなんだろう?と思った。耳だけを頼りに録音する感覚を、もう一度取り戻してみたくなった。


書き下ろした曲のタイトルは「play ▶ (再生)」。英語の「play」を「再生」と訳したかつての日本人は、どんな期待を込めて「再生」という言葉を当てはめたのだろう?なんてふと考えた。「再び生きる」という言葉には録音の本質が詰まっているんだな、と思いを巡らせながら、40年間見つめ続けてきた「▶」のマークをタイトル中央に置いた。


歌詞の元になった2006年の書きかけの詩のメモに「*はっぴいえんどフィーリングで」と書いてあったのをヒントに、1964年の東京オリンピックで失われた東京の原風景を描いたという「風をあつめて」にオマージュして、2021年のオリンピックの最中に録音したのがこの曲。






play ▶ (再生)  作詞・作曲:高野寛


昔の東京 ヴィデオで観てた

原宿の街 若者たち

どこかで聴いた 甘やかなメロディ

生まれる前のヒット曲 流れた


巻き戻せない あの日の夢は

呆れるくらい ノイズ混じりで


だから今 play 何度でも play

繰り返し play もう一度 play, play, play


原宿・東京 ラフォーレ斜向い

そっと繋いだ手 恋人たち

夕日はずっと 未来へ続く

スマホのカメラ焼き付けた 永遠を


ここにいない あの人の声

狂おしいくらい 叫び続ける


だから今 play 何度でも play

繰り返し play もう一度 play, play, play





というわけでまた。








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